今月16日から9日間に渡り デュオ → バンド(割礼・名古屋)→ バンド(割礼・大阪)→ ソロ と続いた山際英樹さんの一連のライブが無事に終了。一息ついたらいろいろな感想や思いや考えが頭の中に湧き出して駆け巡って騒がしい。こりゃ早いとこ整理整頓しとかないと落ち着かないぞというわけで、山際さんのソロ演奏における特徴=魅力はなんぞやということを24日のソロライブを筆頭に過去のライブも振り返りつつ書き出してみた。
ルーパーによる淡々と繰返されるリフ
オクターバーによってぐいっと思いきり引き下げられた骨太で男前な低音
しれっとした顔で響かせる凶悪なファズ(凶悪なれど理性的)※使うのは暴れん坊のFat Fuzz Factory。オクターバー+トレモロアームとの合わせ技は最高にエグい。
演奏の半分を占めるのは多彩かつ多層的な音響によって構成される、明確なメロディの無い楽曲。 ← アンビエント・ドローンやアンビエント・ノイズの趣きがある。
メロディは常に穏やかで優しく、時に流麗。旋律を聴かせる楽曲の場合はあまりエフェクターは使わず生音がメイン。かけてもディレイくらい。そこにあえて激しく力強い歪み系ノイズを重ねる大胆な合わせ技でドラマチックに曲展開させる場合もあり。
楽曲は具体的な物語やはっきりとした感情を描写するものではなく、心象風景の雰囲気や空気感を抽象的に表現している感じ。 ← これはクラシックにおける印象派音楽の特徴の一つにとてもよく似ている。
ライブ毎に必ず1~2曲の新曲が投入される。
一度演奏された曲や定番曲も毎回アレンジがガラリと変わるので、基本同じ演奏は一つとして無い。
曲と曲は間を置かず流れるように繋がっていくので、演奏全体で一つの作品として捉えることができる。
おおよそこんなところか。
これらの特徴は他の演奏形態では見られないか、あるとしてもとても抑えられた形あるいはごくごく一部の形でしか出てこない。アレンジが毎回変わるというのは割礼でもいつものことですが。
血と雫では生音の際立つ美しいメロディの曲はありますね。血と雫の楽曲アレンジは山際さんが担っていたので、バンドでも比較的山際色が強めに出ていたのかもしれない。
これまで山際さんの楽曲の雰囲気を例えるのに度々「アンビエント」という言葉を使ったが、「印象派」を持ち出したのは今回のライブが初めて。
最近アリス=紗良・オットの演奏による印象派ピアノ曲集アルバム『NIGHTFALL』を聴いているせいで頻繁に頭の中でドビュッシーやらサティやらラベルやらが流れているのだが、24日の山際さんソロ冒頭1曲目を聴いて「あら、ドビュッシーみたい!」と思ったのがきっかけで、山際さんの楽曲はひょっとして印象派なのかもと思った次第。上に書き出したとおり、調べてみたら印象派音楽と山際さんの楽曲には明らかに共通項があるし、山際さんご自身サティがお好きだと言及されているので、これはあながち間違っていないと思う。
大きく分けると生音主体の楽曲には印象派の趣きが、エフェクターを駆使した音響が主体の楽曲にはアンビエント・ドローン/アンビエント・ノイズの趣きが感じられますね。(双方のコンビネーションもあるので明確に分かれるものではないが、傾向として。)
山際さんのブログによれば、ソロ演奏は自分自身のためにやっている様なところもあるとのこと。つまりソロが一番パーソナルな表現であるということだろう。そこに描かれるのは明らかに山際さんの内にあるいろいろに他ならない。作者/演者の心の内や本質が一番ダイレクトかつ遠慮無しに出てくるソロ演奏は他の表現活動の基盤でもあるわけで、やはり一番面白いし、一番刺激的なのである。
これらの特徴は他の演奏形態では見られないか、あるとしてもとても抑えられた形あるいはごくごく一部の形でしか出てこない。アレンジが毎回変わるというのは割礼でもいつものことですが。
血と雫では生音の際立つ美しいメロディの曲はありますね。血と雫の楽曲アレンジは山際さんが担っていたので、バンドでも比較的山際色が強めに出ていたのかもしれない。
これまで山際さんの楽曲の雰囲気を例えるのに度々「アンビエント」という言葉を使ったが、「印象派」を持ち出したのは今回のライブが初めて。
最近アリス=紗良・オットの演奏による印象派ピアノ曲集アルバム『NIGHTFALL』を聴いているせいで頻繁に頭の中でドビュッシーやらサティやらラベルやらが流れているのだが、24日の山際さんソロ冒頭1曲目を聴いて「あら、ドビュッシーみたい!」と思ったのがきっかけで、山際さんの楽曲はひょっとして印象派なのかもと思った次第。上に書き出したとおり、調べてみたら印象派音楽と山際さんの楽曲には明らかに共通項があるし、山際さんご自身サティがお好きだと言及されているので、これはあながち間違っていないと思う。
大きく分けると生音主体の楽曲には印象派の趣きが、エフェクターを駆使した音響が主体の楽曲にはアンビエント・ドローン/アンビエント・ノイズの趣きが感じられますね。(双方のコンビネーションもあるので明確に分かれるものではないが、傾向として。)
山際さんのブログによれば、ソロ演奏は自分自身のためにやっている様なところもあるとのこと。つまりソロが一番パーソナルな表現であるということだろう。そこに描かれるのは明らかに山際さんの内にあるいろいろに他ならない。作者/演者の心の内や本質が一番ダイレクトかつ遠慮無しに出てくるソロ演奏は他の表現活動の基盤でもあるわけで、やはり一番面白いし、一番刺激的なのである。